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珍しく日記でも

  • 2014/02/25(火) 00:15:44

ほとんど備忘録と化してしまったこのブログですが、
もともとは日記を書いていたものでした。

ここ数年はその役割をTwitterに取って代わられてしまいましたが、
今思うところがあってTwitterを休んでいるので代わりに…
(代わりにした時点で色々と意味がなくなるのですが…)

さっきまで、なんとなくPCの中のマイドキュメントを漁っていました。
特に探しているファイルがあったわけではなく、ただ何となくです。

一番多かったファイルは高専時代のレポートでしょうか。
当時は締切に間に合わせるように必死にやっていましたが、
今見るととても内容は薄く簡単にできるようなものばかりです。
もっとも図に関して言えば時間をかける必要はありますが…
こういうことは終わったからこそ言えることでしょうが、
今思えば楽しかったなあと、しみじみ感じました。
ただ、残念なことにその内容が今の仕事に活かされているかというと
Noと答えなければなりません。
内容そのものは役に立たなくても何かを行いまとめる、
という過程についてはとても役立っていると感じます。

目的があり、条件があり、結果があり、結論があり、考察があり
とやっている当時はそれがあって当たり前という気持ちでやっていました。

仕事では装置の保守を片手間に歩留の改善を行っていますが、
歩留の改善は何か悪化させる要因を見つけて分析をし、
それに対して行動を起こし、結果をレビューするというのが基本でしょう。
それは所謂PDCAサイクル等に代表される改善活動の基本的手法だと思います。

しかし今の職場ではそれがきちんと実施されているとは言い難いです。
突発的にでた不良に対して大騒ぎをし、急いで対策をするように言われますが、
言われたままで結果を聞いてこないことすらあります。
もちろんそれは突発的なものなので大事になることは少ないです。

歩留改善と銘打って改善活動も続けていますが、
改善活動と言いながらその代表的な手法は一切使わずに、
その時に印象に残った不良をとりあえず対策しようという驚くべき進め方です。

テーマの選定方法の時点で中々なものですが、この際そこは無視します。

テーマを決めた後にすることは、
・スケジュールを決める
・目的を決める
というのが重要な項目でしょう。
ところが両方ともあいまいな状態で特に決められないのです。
スケジュールもこの際無視しましょう。
最悪3Qまでとか4Qまでとかが大まかなスケジュールと見ることもできるでしょう。

しかし目的について決めないというのはどういうことなんでしょうか。
物事を進めるうえで目標を定めるというのは基本中の基本です。
事業計画を立てるにしても計算した結果こうなりました。
なんてことではなく数年先まで見越したうえでの目標を立てるはずです。

実際に目標を立てないで進めて行った場合どうなるのか。
毎週月曜日に各担当者が集まり進捗確認のミーティングを行っています。
それはもう不毛なことで、目標がないためどんなに元から改善をしても
いつまでも改善できていないと責め立てられるばかりです。

しかも内容ばかり重視し現状把握すらできていないテーマがかなりあります。
始めた当初は確かに不良が多発しているものだったのが、
今はほとんど無視できるほどになっているものもあります。
そしてそれは改善のための施策が効いたのではなく、
あるタイミング(特に改善になることはしていない)で突然良化していたりするものが多いです。

改善活動をするのであれば、現状確認とスタート地点からの成果を常に確認するのは当然です。

進捗確認といいつつ半分議論する場になっているのも問題です。
これは個人的意見ですが、進捗確認はあくまで途中の"結果を報告"する場であり、
前回の報告からやった内容、おまけにそれを詳細に説明し議論する場ではないと思います。
正しい進捗確認を行えない結果毎週月曜日の午前中を全て潰してしまうことになっているのです。

それぞれのテーマを進めるうえで、定期的に、あるいは重大な変化点が発生した場合には
関係者で協議したり中間報告をしたりすることは重要なことだと思います。
当然それは行われていますが、それに使われる資料について疑問点が多いです。

資料というのは多ければ多いほどいいわけでないですし、
作成者が説明しないと何も伝わらない資料も意味がないです。
残念ながら今の職場では資料のレベルはかなり低いと言わざるを得ません。

まず資料に目的がない。
そして条件がない。
最後に結論が載っていない。

どういう分けかデータしか載っていない資料が非常に多い。
(それを資料と呼ぶのすら躊躇われる)

データなんてものはデータベースが構築されている環境であれば誰でも呼び出せます。
そんな考えなくてもできるものに全く意味はありません。

データはあくまで方向性を決めるもの、結果の妥当性を示すものであり、
それ単品ではまったく意味を持たないものです。

理想的な資料とは1ページに、
背景、目的、手法、結果、結論
がまとまっているものだと思います。
2ページ目以降は全てアペンディクスでもいいぐらいです。

データしかない資料は口頭で補足することになるので、
打ち合わせの時間は長引きます。
口頭で全て説明できる人ならともかくそうでなければ、
少し突っ込みを入れられると話の方向性がどんどんと離れて行ってしまいます。

まだまだ挙げればきりがないですが、眠れなくなってしまうので一旦まとめます。

ここまで長々と書いてきましたが何が言いたかったのか。

『今の職場は非常に低レベルである』

という一言に尽きるでしょう。

最初に高専時代の話を持ってきたのは、そのギャップに限界を感じてきたからです。
学生時代は常にど真ん中というある意味すごい成績を保っていましたが、
それでも今の職場は低レベルに感じます。

学校の特性上さまざまなジャンルで「あいつに任せれば安心だ」と思える人が必ずいました。
そういう人からは学ぶこともできましたし、楽しく過ごすこともできました。

自分の学んできた専門性を一切活かせない上に学べることも少ない。
今の職場にこだわることに意味を見出せません。


さらに話は戻り、最初のTwitterを休んでいるという点について―
これ以上は本当に睡眠に影響が出るので後日にしましょう。

この記事自体誰かに向けてというよりは、
何でもいいから吐き出しておかないと潰れると直感的に感じたから書いただけですし。
普段だともっと推敲してから投稿しますが、面倒なのでそれも特にしません。

気が向いたら明日以降も書きます。
今後の内容は
・Twitterを休んでいる理由
・上司について
・職場のモラル
・将来について
という点について気が向いた順に書きたいと思います。
あるいは書かないかもしれないです。

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